にこにこくんの、のんびり日記

おもに演劇や映画の観劇レポや、作った料理などを掲載します。

しばらく前になりますが、アップリンク吉祥寺で映画「愛がなんだ」を観ました。

NHKの連続テレビ小説「まんぷく」で、主人公・福子(安藤サクラ)の妹役を演じ、一躍人気者になった岸井ゆきのさんの主演作です。どことなくだらしない男・マモル(成田凌)に一方的に恋をして、一方的に尽くすテルコを演じます。

「愛がなんだ」は、人気小説家・角田光代さんの小説のタイトル。この本が原作になっているわけですが、一方的に愛を尽くす主人公の物語なのに、なぜ「愛がなんだ」と愛を吐き捨てるようなタイトルなのでしょう。愛とは相手を思いやる気持ちで、相手が望まないことを押し付けようとはしないものです。無償の愛だからといって、タダだからと出血大サービスをして良いものではありません。しかしテルコは、「愛がなんだ」と、自分のやりたいように、相手が嫌がろうとも、平気で相手に尽くすのです。相手のための「愛」ではなく、自分がこうしたいという「欲」を優先するのです。

テルコのような女性はなかなかいないな、と思いましたが、よく考えると、世の中の「オカン」には、そういうタイプが結構いるような気がします。そうか、テルコはオカン体質なのか?

一方のマモルも、そんなテルコを振り切って、別の女性・すみれ(江口のりこ)に恋をします。彼女は相手に愛を求めず、自立した生き方を目指しています。だから、マモルにも愛を求めません。ゆえに、無理目の恋になってしまいます。

「献身的な愛」という言葉はあるけれど、「献身的な欲」という言葉はありません。そんなテルコの欲は、報われることはあるのでしょうか。それとも、欲から愛に、形を変える時は来るのでしょうか。

片思い中だったり、恋愛関係がうまくいかなかったりしている人にとっては、共感して胸が痛む作品かもしれません。スッキリした出口を示してくれるような映画ではないけれど、監督・脚本の今泉力哉の優しさも親切さもない人間愛が、得も言われぬおもしろみを味あわせてくれる作品でした。

愛がなんだ
 

池袋のシアターKASSAIにて、株式会社ケィ☆サイド主催第3回公演「きらきら〜じゃんぷの法則〜」を観ました(作・演出:小田竜世。松平章全:作・監督「船橋の民」をベースに製作)。

突然主力の2人が脱退した4人組地下アイドル「じゃんぷ4」と、順調に運営され地域の人々にも愛されていたのに突然廃業の危機に襲われたスーパーマーケット「北部ストア」。崖っぷちの両者の出会い。そして彼らに逆転劇は訪れるのか、それとも……。

アイドルとスーパーマーケット。まるで違う2つの世界の裏表をリアルに描きながら、物語は展開していきます。彼らを危機に陥れる巨大な力を、彼らの純粋なパワーが跳ね返していくさまは、ケィ☆サイドの舞台ではおなじみの痛快さ、大人向けのファンタジーです。

作・演出の小田竜世さんがケィ☆サイドで描く芝居は、巨大な企業に小さな力が立ち向かっていく企業ドラマが多く、もし、「半沢直樹」や「ノーサイド・ゲーム」のような物語のファンだったら、絶対オススメです。アイドルの話もスーパーマーケットの話もよく調べ尽くして書かれた脚本なので、ストーリーにリアリティがあります。巨大なパワーの前でひとたまりもなく蹴散らされてしまいそうなちっぽけな存在が、粘り強く踏み応え、立ち向かっていくさまは、観ている者にパワーを与えてくれます。

今回もおもしろい舞台でした。

 

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千駄木にある森鴎外記念館に行きました。
 
直筆原稿や日記など、貴重な資料が年代順に並べられ、時代背景と鴎外の人生を簡潔にわかりやすくまとめた解説文が添えられていました。外観も内装もセンスが良く、とても心地よい館内でした。

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記念館に入る前、一点気になっていたことがありました。ご存知の通り、森鴎外は小説家であるとともに、軍医でもありました。日露戦争の頃は陸軍軍医部長として出征していたのです。

中学・高校でも習ったと思いますが、陸軍は203高地を占領して旅順要塞を攻略しようとします。この戦いでは多くの兵士が戦死します。そして、その死因の多くが脚気による病死だったのです。これは、陸軍の兵食が白米の飯に偏っていて、ビタミンB1欠乏になったためでした。陸軍では「軍隊に入れば白い飯が食べられるぞ」と貧しい農民を兵士に勧誘していたため、白飯偏重になったのです。海軍では、軍医の高木兼寛が脚気の原因は食事にあると考え、パンや麦飯を取り入れることで脚気を防ぐことに成功していました。にもかかわらず、陸軍の森鴎外は脚気の原因は細菌の感染にあるという伝染病説にこだわり、高木の説を非科学的であると批判し、その結果、多くの兵士を亡くしてしまったのでした。このことは、森鴎外の大きな負の歴史であります。しかし鴎外は、この過ちについてのちに触れることはありませんでした。

記念館ではこのことをどう捉え、表現するのか、気になっていました。しかし、館では鴎外が日露戦争に陸軍軍医部長として出征したことを述べるだけで、脚気のこと、戦死者のこと、鴎外が伝染病説に固執したことについてはまったく触れていませんでした。

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記念館では「永井荷風と鴎外」という特別展をやっていました。鴎外が若き才能を持つ荷風を評価し、支援したこと。それに荷風が恩義を感じ、鴎外の死後も鴎外を賞賛していたことが描かれていました。鴎外と荷風では作風が大きく違います。人の個性は遺伝と環境によってできるという説を信奉した荷風は、それを描ききるために過激なリアリズムの作風となり、お上からたびたび発禁扱いとなります。にもかかわらず、鴎外は自分の息のかかった文芸誌に、「これを載せたら発禁になるだろう」とわかりつつ、荷風の新作を掲載し、案の定、出版差し止めになってしまうのです。作風・考え方の違う自分のために身を呈してそこまでしてくれた鴎外に対し、荷風は敬意を抱き、鴎外の没後に発刊された鴎外全集について、「文学者になろうと思ったら、大学などに入る必要はない。鴎外全集と辞書を毎日繰り返して読めば良い」と寄稿したのでした。

考え方の違う若き文学者に対するこの柔軟性・寛容さはどこから来るのか。もしかしたら、鴎外は高木兼寛の脚気食事説を頭ごなしに否定・批判したがゆえに多くの兵士を亡くしてしまったことに対する反省があったのかもしれません。当時ビタミンがまだ発見されていなかった時代、高木軍医は科学的根拠を説明できませんでした。しかし、高木によって海軍が食事改善を実践し、わずか2年で23.1%だった脚気発症率を1%未満にまで激減させたことは、疫学的に科学的根拠が得られていたと言ってよいわけです。自分が衛生学に心酔し、伝染病説にこだわり過ぎたことへの反省が、のちに自分と異なる者への柔軟性・寛容さを作り上げたのかもしれないのです。

これは、あくまで私の仮説に過ぎません。鴎外は何も語っていませんから。しかし、数々の鴎外の小説とともに、永井荷風の「ふらんす物語」などの一連の名作も、鴎外の作品なのだと思いました。

森鴎外の墓には、本名の「森 林太郎ノ墓」とのみ刻まれ、小説家「鴎外」の名前も、軍医総監にまで上り詰めた経歴も刻まれていません。遺言には「石見人」とあり、自分が島根県石見の人間としてのみ死にたいと望んでいたと解釈されています。自分の経歴を誇りたいという気持ちがなく、ただの人として死にたいという鴎外。その謙虚さの裏に、日露戦争時の反省が込められていると思うのは、私の考えすぎでしょうか。

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