にこにこくんの、のんびり日記

おもに演劇や映画の観劇レポや、作った料理などを掲載します。

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先月下旬の9月24日(日)、お芝居を観に行きました。
芝居はたぶん一昨年、歌舞伎座で歌舞伎を幕見席で観たのが最後だから、
ずいぶん久しぶりの観劇です。うれしいな、感激!(「観劇」と「感激」をかけた駄洒落です)

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 劇団「ぷろじぇくと☆ぷらねっと」
 第3回公演「おやすみなさい、ぼくの、マリー・ルウ」2006.9.22~24
 作・演出 日疋士郎
 キャスト
  男1、博物学者トキオ:   原朋之(「くろいぬパレード」からの客演」)
  男2、謎の男ヤウコ:    下浦治徳(ぷろじぇくと☆ぷらねっと)
  男3、医者:        桜井康二(ぷろじぇくと☆ぷらねっと)
  女1、現役娼婦ツキヲ:   みむらえいこ
  女2、元美少女ツキヤ:   松原未知
  女3、トキオの姉ツキスミ: 有江瑠美(ぷろじぇくと☆ぷらねっと)
  女4、トキオの妹ツキナサ: 水輝みこ(ぷろじぇくと☆ぷらねっと)
  女5、トキオの母ツキイ:  中井美友(「りんご企画」からの客演)
  女6、トキオの妻ツキヨ:  田村七七三(「白鯨旅団」からの客演)

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楽日(千秋楽)に観に行きました。
一般に芝居は映画と違い、初日からの反応をみながら、次第によくなっていく事が多いのです。
(まれに楽日までに役者の声がボロボロになったり、混乱したりすることもありますが)
金銭的に余裕がある、その劇団(あるいは役者)の熱烈なファンは、
初日と中日と楽日を観に行ったりします。そんなファンのいる劇団・役者は恵まれています。

さて、私は公演日が近付いてから予約したので、チケットは会場で受け取ることになってました。
のんびり屋の私は、楽日当日に劇団のサイトで会場の場所をチェックしようと考え、
パソコンを開いたら調子が悪く、何度も再起動。結局アクセスできないまま電車に飛び乗り、
電車の中でケータイでぷらねっとさんにメールしたのですが、
開演直前で、さすがに返信はなし。ま、昔住んでいたことのある神楽坂。
行けば何とかなるだろうと根拠のないタカをくくって開演10分前、駅に到着しました。
懐かしいなあ。時間があれば神楽坂下の不二家にしかないペコちゃん焼(人形焼き)
などを写真に納めるんだけど、そんな暇もなく坂や裏道を右往左往している間に開演時間。
ああ、家でお昼ご飯を食べて、ちょっと横になったら居眠りしてしまったから、
こんなことになったのです。反省(by反省猿の二郎くん)。

あ、そうだ、坂の途中に、昔よく通った書店があったな。そこに行けば、ぴあがあるよね!
店頭にぴあ(タウン情報誌の草分け)がありました~☆ \(*^▽^*)/
演劇ページを探したら、会場の住所はなかったけど、
ぷらねっとさんのケータイ番号が載ってたので、店主が睨む前でページを開きながらTEL。
ごめんね店主。昔はここでいっぱい本や雑誌を買ったんだよ。覚えてないよね。許して!
美しい声の女性がすぐ出てくれて、安心しました。交差点で落ち合えた時はうれしかったな。
顔も美しくてスタイルも抜群(by X-GUNさん)。
頭の中で「東京ラブストーリー」の小田和正さんの曲のイントロが流れました。

え?X-GUN は「丁半コロコロ」に改名いたしました?とりあえず、それは関係ない。
今年の2月に細木数子さんに改名されたの?
それ、誰も知らないのでは?改名失敗?とりあえず、それは今、関係ない。
あ、交差点の角に細木数子事務所がある!とりあえず、看板が悪趣味。神楽坂、迷惑!

劇場に入り、交差点の美女にうまく先導されて、タイミングよく客席に入りました。
芝居の頭の部分は見られなかったけど、とても楽しめました。
本はしっかりしているので、途中からでもストーリーがよくわかります。
あらすじ 遺跡事故で記憶を失った男と、月の名前の六人の女。
     人類が今のような姿になったのは、なぜなのか?
     愛は、果たして本能なのか?
     エジプト神話を彷佛とさせる謎のレリーフを鍵に、
     愛と進化と脳をテーマに、新しい進化論を描きます。(劇団パンフレットより)
テーマは壮大で難解なものに取り組んでいます。現代演劇を観たことのない人には難しいかも。
現代演劇ファンなら、すごく楽しめる舞台です。

主人公は学者であり、トラウマを抱え記憶を失った男であり、
それが舞台転換や暗転もないまま、入れ子細工のように演技を切り替えるので
(古い演劇用語で「メタシアター」といいます。劇中劇のような構造)、
高度な演技力が主役にも、それに絡む脇役にも求められます。

その演技がみんないい!まだ3回しかやってない劇団とはとても思えない。
合間に客演やワークショップなんかで経験を積んできたんだな。
稽古も相当やったな。努力の跡がはっきり見えます。
ちゃんと相手や空間、芝居の世界と絡みながらセリフを伝えています。
だから、この芝居の伝えたいことがよくわかります。
難解な芝居を観ている、という気にさせません。
それに、女優陣はみんなきれいだし(あ、名前から「ツキ」を取って並べると……!)
先日紹介した小説「チョコレートコスモス」に出てくるような天才演劇少女揃いです。
下浦治徳さんの演技、鬼グッド!!

小道具の使い方もおもしろかったです。ほとんど全ての小道具を、布を使って表現しています。
例えば花束に見立てた布が、赤ん坊とそれをくるむ布に変わり、
古代の巻物に変わり……という具合です。この使い方は、うまいです。
ベールで人がはけた(退場する)ことにする演出もいいです。
各役者はレースの布を身につけているのですが、はけるときには主人公の背後に並ぶいすに
レースを頭からかぶってベールにして座り、身動きをしないことで、はけたことに見立てます。
入退場がすばやくでき、しかも、役者たちがベールをかぶって主人公の背後にいると、
ギリシャ演劇のコロスを思わせます。
コロスはギリシャ演劇では声を揃えてセリフを言ったり、
踊ったり歌ったりしますが、この芝居ではじっと座っているだけです。それでも、影として
背後にいるだけで、脇役たちが背景にも象徴的オブジェ(舞台装置)にもなるという意味で、
コロスと共通する部分があると思います。

汗をかく熱演ではなく、抑制しながら集中力をきらさず、
主役とのアンサンブルを大切にする演技、いいですね。本当にいい芝居でした。
作・演出の日疋さんの世界観が、3回目の公演でこれだけはっきりしているというのはすごい。
日疋さんはピーター・グリーナウェイ(映画監督)の作品が好きだそうですが(私も!)、
その影響も感じられます。グリーナウェイはミニマルミュージック(音が反復する現代音楽)
を音楽として多用しますが、日疋さんは、ひとつの芝居で世界が完結するというより、
ずっと続いていくものの断片だ、という感覚を持っているようです。
たとえば、月並みで安易なカタルシスを求めない芝居のエンディングの演出等にも、
その感覚は表現されているように思います。
まだこれからも試行は続き、よりよいものに成長していくことでしょう。
次の公演は来年の初夏だそうですが、この劇団の役者さんが、ほかの舞台に客演します。
演劇ユニット おかわり 第1回公演「迷子のハラペコゆうしゃ(仮)」
11月21日(火)~23日(木・祝) 問い合わせ:marikororin0521@yahoo.co.jp
私は楽日、予約しました~☆ \(*^▽^*)/

他者と出会うということ

失われた進化のピース、それは主人公が失ったピース。
でもそのピースを求めていくことが、生きることの力になり、
さまざまな関係性を持つきっかけとなる。
でも、欠けた部分がない、引っ掛かりのない完璧なものだと、他者が入り込む余地がない。
欠けていなければ、関係性は生まれない。
だから、完結しないことが、閉塞からの脱出口となり、ダイナミズムを生み出す。

欠けたピースの探索が地球ゴマのような閉塞運動(空回り)ではなく、
その冒険が、仲間(他者)と出会うきっかけになれば楽しいよね。
生命は、脊柱をもつ魚にまで進化した時、遠く離れた海の彼方まで、
冒険(出会い)の旅を始めることができるようになる。
しかし、外界は敵も多いため魚には瞼がなく、眠る時も半覚醒で対処。
ああ、これは疲れる。常に恐怖だ。瞼を閉じ、ぐっすり眠れる世界へ行きたい。
安息の地を求め、魚は陸上に上がり、そこから進化(変化)はどんどん進み、ヒトが誕生し……。

夜の安らかな眠りは、喧噪に満ちた日中の疲れを癒す。
文明社会は疲れる。疲れる日常は嫌だ。安定がほしい!
でも、閉じてるがゆえに安定した世界(閉塞)を安息の地(ユートピア)と見誤ると、
その人の世界は終わってしまう。ご注意を。
不均衡動学は、不均衡(不安定)が常態であることを数学的に証明。
安定・平和・安らぎ・愛は永遠でなく、その逆が自然だという。
だから、経済の安定や、平和や、愛を長く保つには、知恵と努力が必要。
つまり付き合い方次第で、過剰なストレス、騒々しいダイナミズム(ノイズ)も、
愉快な音楽に変えることができるということ(たとえばエレキギター)。

でも、万人にとって愉快な音楽なんてない。音楽自体が楽しいのではなく、
聴いた者にとって楽しいのが、楽しい音楽。
自分のつくった音楽を楽しいと思ってくれる人が増えますように。
一人でも、どうしても必要、と思ってくれる人がいますように。
そして、その人たちがいるのは、「なる世界」ではなく「世な日常の中」。
俗っぽい日常に背を向け、そこにいる大切な人たちの名前を忘れてはいけない。
たとえ、つらくとも、止まない雨がないように、「病み」はいつか「晴れ」となる。
俗っぽい日常と、学問という聖なる場所を移動しながら、
俗っぽい日常を認めた時、周りにいる大切な人たちの名前を思い出せたよね。しかし……。

次の公演も楽しみです。また観に行こう☆ \(*^▽^*)/

魚へんに春で「さわら()」なのに、今頃こんな料理をご紹介してすみません。
でも、おいしかったんです!☆ \(*^▽^*)/
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実は、退院して、高校野球の決勝戦をテレビ観戦し、
早稲田実業(私のいとこも昔、通っていたな)が見事な戦いで優勝したので、
それを記念した料理をつくったのです。それが

ヤリイカのボイル・バルサミコ酢みそソース

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ところが、私の目の遠近感が悪すぎ、ヤリイカを二つ、皿に盛り付けると、
なんだか駒大苫小牧と早実をバカにしてるんじゃないかとクレームが来そうな
不格好さになっちゃいました。ソースの色もイカと合ってない!
何より、ソースで早実の「W」を書いたはずなのに「N」にしか見えない!
というか、これは「N」だ。「N」って何?!!Σ( ̄ロ ̄lll)
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              あのタオルハンカチは、そんなデザインではなかったはずだ!

ああ、これは失敗だ!でもおいしい!とくにこのソース、どんな料理にも合いそう!
要するに、ヤリイカといえば「辛子酢みそ和え」だから、
それをヒントに洋風の素材を使ってみたということなんです。
というわけで、つくったのが、

さわらのソテー・粒マスタードバルサミコ酢みそソース

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材料 さわら(福岡産)
   油(エコナ。オリーブ油など、何でもいいです)
   バルサミコ酢
   みそ(麦みそ。九州で有名なフンドーキン)
   オリゴ糖
   粒マスタード
   オレガノ

つくり方
  1)バルサミコ酢、みそ、オリゴ糖、粒マスタードを混ぜ、皿に敷く。
  2)フライパンで油を熱し、さわらを両面焼く。
  3)1の上に2を乗せ、オレガノをふる。
いただきまーす!
うん、やっぱりこのソース、さわらにも合う♪
フンドーキンみそは味が甘いので(九州の人は甘い味付けが好きなようです)、
オリゴ糖(砂糖かみりんでも可)の量を調整してください。
いいソースができて、ごきげんです。
名前が長いだけで、つくる時間は短いです(@^∇^@)

ごきげんだから、歌を歌います。
北島三郎さん(通称:サブちゃん)の「函館の女(ひと)」
(「♪は~るばる来たぜ函館~!」って歌です。
 かつて、永谷園の鮭茶漬けのCMソングとして有名でした)の替え歌で、
タイトルは、「酢とみそのソース」。
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               鼻の穴に電球を仕込んで、光らせてみました
♪は~~るバル、サミコ、酢とみそ~~っ!
さぁ~~~わらを、乗せて、い~ただく~~っ!
ハトは乗るなと言いながら、
牛も羊も何でも合うと、
思い付くまま合わせたら~、
と~~っても、ご飯に~~~っ!
合ってたんだよ~~~~ぅ!
……私、無事、皆様のおかげで退院できましたが、
現在の自宅療養を無事終えて、復職する事ができるでしょうか?
なんだか頭の中にどんどん花園が広がっているような気がする。
元気には違いないんだけどなあ。毎日すごく元気です。
でも、ああ、こんなおバカソングなんか歌ってて、復職できるかな……?

「ボクモ『ヒトリデ、デキタ!』」
あ、あなたは!
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そうですね!できますよね!
できて……ますよ………ね?

まあ、どうにかなるさ!
なんだか、ほのぼのしてきました(*^_^*)

でも拙者、サラ金には手を出しませんから。残念!(死語)
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追伸
 最近、若手お笑い芸人の流行語がすたれるのが早いなあ。
 すたれる芸人さんの努力・実力不足があるのかもしれないけど、
 人を笑わせる素晴しい職業である芸人さんを、
 マスコミはもっと大切にして、大事に伸ばしてほしいな。
 人々も、ちょっと古い流行語を使うことを
 恥ずかしがる、あるいは怖がる風潮があるような気がするけど、違う?
 それを使って「古~~い!」って、素敵な異性にからかわれても、
 「おいしい(これも死語)」って思ったほうがいいような気がするな。
 どうでしょう?(これは旬?)芸人さん本人が精進すればいいだけのことかな?

病院はもう退院したのですが、そのころの記事を書きますね。
【入院日記:7月25日】
病院の近所にあるコンビニに行きました。
目的地に向かってまっしぐらに進めず、
あちこち風景を眺めながら歩くくせの止まらない私は、
何気なくコンビニの外壁を眺めまわしました。

あれっ!ツバメ!ツバメの巣だっ♪
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ツバメが細い枝を口にくわえてほぼ完成した巣に差し込んでいます。
最後の仕上げかな?
もう中に卵はいるのかな?
もしかして、もう孵って、ひながいるのかな?
耳をすましてみるけど、鳴き声は聞こえません。
ということは、中には卵があるか、これから産むか、ということですね。

なんだかいいもの見ちゃったな(*^_^*)
心がじんわり暖かくなって、コンビニに入りました。

……あれっ?何買うんだっけ?

思い出すのにしばらくかかってしまいました。

病院に帰って、病棟のロビーでほかの患者さんたちに、
さっそく写メで撮ったツバメの巣の写真を見せると、
そこのコンビニは病院に一番近いので、皆さんひんぱんに利用しているのに、
巣に気付いている人は誰もいませんでした。

やっぱり、コンビニに行くときに、何の関係もないただの白い外壁を
上から下まで眺めまわす人は、私くらいのようです。
発見を自慢していいのか、さっさと目的地に向かわない性分を恥じるべきか……。

「晩ご飯ですよ~!」
あ、看護師さんが呼んでる。わーい、今日の晩ご飯は何かな~?

【入院日記:8月9日】
それからしばらく経った今日(8月9日)、散歩の帰り、
コンビニの前を通ると、あれっ!ひながいる!鳴いてる!お母さんを呼んでいる!
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産まれたんだ、わーい(*^_^*)
かわいい!三匹だ。みんな元気。うれしいな。

病院に帰ってみんなに話すと、
ひなが孵ったのを知っている人はいませんでした。
「ツバメの巣のある家には、幸せがやってくるって、昔から言うよね」
仲良しのOちゃんが、ケータイの写真をのぞき込みながら、そう言いました。
へーっ、そうなんだ。知らなかった!
Oちゃん、あんた、教養あるね!うんちく王だ!いや、女の子だから、うんちく女王だ!

「晩ご飯ですよ~!」
あ、看護師さんが呼んでる。わーい、今日の晩ご飯は何かな~?
病院の食事でつばめの巣は出ないよね?(^-^;

つばめを見ると、思い出す……

「しあわせの王子(作:オスカー・ワイルド)」という童話をご存知ですか?
僕は小学2、3年生のとき、子供向けの抄訳版で読みました。
ある国の王子が若くして亡くなりました。
それを嘆いた国王は全身を金箔で覆い、宝石をちりばめた銅像をつくりました。
ある日、つばめが一匹、その王子の銅像の台座にとまって休んでいました。
すると、そのつばめに銅像の王子が話し掛けました。

「ねえ、君、お願いがあるんだ。あそこの古いアパートの窓の奥が見えるかい?」
「子供が熱を出して寝ているね」
「あの家は貧しいから、薬が買えないんだ」
「かわいそうだね。それで?」
「僕の体に貼付けてある金箔を少し剥いで、あそこに届けてくれないか?」
「僕はここでひと休みしたらすぐに南に向かわないといけないんだけど……わかったよ」

つばめは王子の金箔を剥ぎ、アパートに届けました。子供の母は喜んで、薬を買いました。
つばめは銅像の台座に戻ってきて、その日はそこで寝ました。
翌日、つばめが旅立とうとすると、王子はまたつばめにお願いしました。

「あの家の青年は、画家を目指しているけど、お金がなくて絵の具が買えないんだ」
「すぐに南に向かわないと寒くなってきたんだけど……わかったよ」

このように、王子は自分の身にまとっていた金箔や宝石を、貧しい人に与えるよう、
つばめにお願いし続けました。つばめは南に向かわないと死んでしまうけど、
彼のお願いを聞き続けました。

やがて、王子の銅像はボロボロになり、つばめは日々弱っていきます。そして……。
おおよそ、そういうお話です。僕はこの童話に心うたれ、何度も繰り返し読みました。
ある日、学校から読書感想文とその本の絵を描く宿題が出ました。
僕はこの童話を題材に選び、学校に提出しました。どんな作文を書いたのかは覚えていません。

しばらくして、学校の朝礼の時、校長先生から私の名前が呼ばれ、前に出るように言われました。
僕が宿題だと思っていたものは、全国読書感想画コンクールに出展され、佳作を採ったのだそうです。
緊張でふるえながら、校長先生から表彰状を受け取りました。
親も親戚も喜んでくれ、描いた絵を額に納めてくれました。

その頃、私は純粋に王子とつばめの行為を尊いことだと考え、
自分も貧しい人や困っている人を見放してはならないと心に誓ったのだと思います。

その気持ちは今も変わりません。しかし、子供の頃にはたぶん気づいていなかったことも
この本から考えてしまいます。

王子は王宮にいたときは、国の中にそのような貧しい人がいることを知らないうちに、
幼いまま、亡くなってしまいました。そして、彼らを救う方法には、つばめの力を借りて、
自分の体に飾られた金箔や宝石を届けるしかないと考えたのです。
しかし、つばめにそれを手伝わせ続けさせることが、何を意味するか、
幼い王子には気づくことができませんでした。

幼い王子のことを責めることは出来ません。また、貧富の差が全く無くなればいいとも思いません。
しかし、貧しい人や困っている人を見放してはならないという気持ちは、今も変わりません。
では、どうすればいいか。答は容易ではありません。そう、容易ではないのです。
それでも、自分の性分や信念を曲げることはできないのです。

忘れていけないのは、
世界はどうあるべきかということを、じっくりと考えること。
きれいごとの一言でかたづけるのは簡単です。
(詞・詩で訴えることを否定するという意味ではありません)
じっくり、多角的に検証することが大事だと思うのです。
きれいに整理された理論どおりに、世の中が動くことはありません。だからめんどうです。
それでも、それについて考える人が少しでも多くなれば、いいと思います。

僕の目の前で、困っている人がいたとき、私はどういう選択をすべきか。
先ほど申し上げたように、性分や信念を曲げられません。
しかし、幼い王子の銅像のように、無計画に突き進んでは、
その困っている人に、生涯忘れることのできない心のともしびを
与えることはできるかもしれないけど、
生涯にわたってその人を本当に助けることにはなりません。
その人の問題を自分の問題として真剣に考える力、そのための知恵、力
僕はそれを身につけているか……。身につけたい!

つばめの巣を見ながら、そのことを考えていたのでした。

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