明日8日(日)まで上演中の、ぷろじぇくと☆ぷらねっと公演「月読の扉」(作:日疋士郎。於:新宿スターフィールド)。初日に続いて、昨日も観てきました。

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この芝居のメインテーマは「死と性」。死なないことが可能になった人類の中で起こるジェンダーの問題などが描かれています。

 LGBTの人たちは、「性別違和」という苦しみを抱えています。「自分の心は男なのに、体は女である」といった違和です。では、違和は解消されるべきものなのでしょうか。医学的に自分の心と同じ性を獲得できるようになったら、心と体が一致したら、それで解決なのでしょうか。もしそれが可能なら、それが一番望ましいことなのでしょうか。

この「月読の扉」でも描かれていますが、「違和」は LGBTの人たちだけの問題ではなく、多くの人たちが抱えている問題です。この親から生まれてきたことに対して違和を覚える人もいれば、差別される一族に生まれたことで悩む人もいる。「こう生きなければいけない」という選択、押し付けられる「〜〜らしさ」、「〜〜らしく演じなければいけない」ということに苦しむ人は大勢います。

多くの人は、そういう違和を抱えて生きている。だから性別違和を抱える人も、医学的、あるいは制度的に生きやすくなることを望むより、問題を抱えながら生き続けることを受け入れるべきでは。性別違和を抱えていない外部の人は、そういう気持ちを抱くかもしれません。

しかし、性別違和の問題は、望まない役割を演じなければならないということです。心が男なのに、男の人に対して女を演じなければならないというのは、耐えがたいことです。それを受け入れよというのは、あまりに想像力に欠けます。

つまり、この性の問題も、「〜〜らしく演じなければならない」という問題も、これは「演劇的問題」ではないか。そう思えました。人間という生き物の根源的な問題は、演劇的問題なのではないか。

詩人でもある、マルチな才能を持つ日疋士郎さんが、苦しみながら演劇活動を続けることにこだわっているのは、自身の抱える性別違和の問題が演劇的問題だからだと、意識的なのか「内知」なのかはわかりませんが、気づいているからなのかもしれません。

ハイクオリティな美しさに満ち溢れる舞台「月読の扉」は、明日日曜日まで上演中です。当日券もあります。「死と性」という普遍的な問題に真正面から向き合った戯曲を美しく誠実に演出した本作。オススメです。ぜひ、ご覧ください!

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